謂われなき立てヒザの詩

レストランまさひろのブログです(立てヒザなカンジで)

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介石

それは突然だった。

それは
遥かなるガンジス川の畔で小学校の担任にあったような、

広い湘南の浜辺で、初めて付き合った彼女が着けていたペアリングを見つけたような、

ある意味数奇な運命としか言いようがなかった

それは、その人はネットの中に潜んでいた。

その人の名は野村介石さん。

おそらく、関西にお住まいの方で知っている方はおらぬだろう。
(知ってる人は出てきなさい。希望の有り無しに関わらず抱きしめてあげよう!)

なぜなら、この人は何を隠そう!

俺が中学校の時に聞いていた山梨放送ラジオのパーソナリティだからだ。

…完全に隠れちゃってる。知っているわけがない。
しかも、俺の中学当時、野村さんは山梨学院大生だった。メディアとしては山梨以外で取り上げられていないのである。

つまり、知ってる奴はエロガキか、山梨在住のバカ者か、もしくは両方である。

山梨学院大生の野村さんは山梨放送でエロ漫画家の『かやまみく』さんと組み『二丁目天国ジャッシーの逆襲』という、どこで区切っても突っ込み所満載な名前の番組のパーソナリティをしていた。

内容は土曜の深夜にリスナーのハガキを読み、番組コーナーでゲームをして、エロ話を二時間延々繰り広げるのだ。

そんなことをしているものだから、思春期真っ盛りのエロバカな中学、高校生からすれば、もはや偉大なカリスマである。

学校での月曜の話題はジャッシーの逆襲。

例えれば
『山梨のガキの使い』
『山梨ラジオのドリフ』
『北巨摩地域のチンギス・ハン』

である


しかし、ジャッシーの逆襲が終わり、山梨放送を聞かなくなり、野村さんはFMの局でラジオをやっているという噂を最後に俺は京都に旅立ち、その後消息は分からなくなり、記憶からも、やがて消えていった。

しかし!
今目の前に、
ネットの海の中で再び野村さんに会う事ができたのだ。

野村介石さんは、とある記事の中にいた。

その記事によれば、新潟に移り活躍を始めた野村さんは2007年7月16日午前10時13分、担当の番組を終え、編集をしていた。

すると、建物がグラッと揺れ、棚が倒れ、ガラスが割れた。

新潟県中越沖地震だ。

14人もの人が亡くなり、1664人が重軽傷を負った未だに災害の跡を新潟に残す大きな地震が彼を襲った。

幸運にも大事はなく、生き延びた野村さんが、まずした事は全速力で自転車を漕ぐことだった。

野村介石さんは市役所の四階に向かった。他のパーソナリティも集まり、災害対策本部がそこで設置され、そこで災害放送を行った。

設置されたのは10時30分。

おそろしく早い対応である。

そして、24時間被災地の情報を集め、励まし、勇気を与えた。

すごい事である、家族や友人がどうなっているのかも分からないのに。

エロ話ばかりの山梨学院大生だった野村介石さんとは、もうプロ意識が違うのかもしれない。
でも、山梨の青少年(性少年)に元気を与え、災害地で勇気を与え、そして慰問のためにライブを開く野村さんは、まぎれもなく僕が知っている野村介石さんだ。

『この人に負けない、みんなが喜ぶものを作りたい』

この記事を読み、心の底から、そんなことを思った
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  1. 2009/12/03(木) 02:11:06|
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